ウクライナ負傷者イーゴルさんにインタビュー
ロシアの侵略を受けているウクライナに対する人道支援の一環として、横浜未来ヘルスケアシステム(YFHS)は4月末から約3か月間、戦闘で負傷したイーゴル・ボロディーロさん(57)を傘下の病院に受け入れ、治療やリハビリを行いました。YFHSがウクライナの負傷兵を受け入れるのはイーゴルさんが2人目。これまで日本国内の病院で約10人のウクライナ負傷兵が治療やリハビリを受けましたが、民間病院で支援を続けているのはYFHSだけと言われています。今回は帰国直前のイーゴルさんにインタビューし、日本の印象や祖国への思いを語って頂きました。
(聞き手=横浜未来ヘルスケアシステム顧問・高須賀茂文)
Q.本日はインタビューに応じて頂きありがとうございます。最初に、イーゴルさんが2023年1月19日、ウクライナ東部ドネツク地区アウデォーイウカでの戦闘で負傷した時の様子を教えて下さい。
イーゴルさん(以下、省略)
――まず、このようなインタビューにお招き頂けたことに感謝します。ウクライナで何が起きているかを日本の方々にお話しできることは、とてもありがたいことです。負傷した日、私が所属していた部隊はロシア軍の戦車3台と約100人の歩兵から攻撃を受けていました。私はウクライナ陸軍の看護兵だったので負傷兵の救護を行っていました。一人目の搬送に成功し、二人目の負傷兵を救護しようとした時、ロシア軍のドローン(無人機)に発見され、乗ってきた車に戦車の砲撃が命中しました。死んでも不思議ではないほど近距離に着弾しましたが、幸運にも生き残ることができました。
Q.その時、イーゴルさんは車から担架を下ろそうとしていたのですよね?
――その通りです。戦場では常に、敵の視界に入ってから(撃たれるまでの)時間を逆算しながら行動しなければなりません。通常、同じ場所に留まるのは5分が限度ですが、その時は7~10分もたっていました。戦車からの砲弾が命中すると、私は数メートルも吹き飛ばされて意識を失いました。その後、後方の救護所に送られ、4、5時間後に病院にたどり着きました。砲弾の爆発で激しい脳震盪を起こしており、しゃべることができませんでした。また、左の股関節と膝もひどく痛め、右足も砲弾の破片で負傷しました。
Q.その後、ウクライナの病院で治療とリハビリテーションを受けたそうですが、日本にいらっしゃるきっかけは何だったのですか?在日ウクライナ大使館の援助ですか?
――実は横浜未来ヘルスケアシステムが(昨年秋から冬に)受け入れた一人目のウクライナ負傷兵(レフォール・イーゴルさん)とは同じ部隊にいたことがあり、彼が負傷した時に救護したのは私でした。それからしばらく彼とは会っていなかったのですが、ある日突然、彼から「今、日本にいる」と電話がかかってきました。初めは冗談かと思いましたが、在日ウクライナ大使館が日本の関係者と協力して、負傷兵に日本の病院でリハビリを受けられるようにしてくれているとのこと。彼は「もし日本に来たいのなら、大使館に話しておくよ」と言ってくれたのですが、最初はためらいました。私よりもリハビリが必要な人がいるかもしれないと考えたからです。ただ負傷後、左目の視力が急激に悪くなってきたので、医療技術の進んだ日本でなら何か治療法が見つかるかもしれないと思い来日する決心をしました。
Q.横浜未来ヘルスケアシステム傘下の病院で数か月間、治療やリハビリを受けてどんな改善が見られましたか?
――短期間で大きな改善があったことに驚いています。リハビリテーションの効果があったことはもちろんですが、それ以外に日本の環境が心の癒しになりました。私の体調がここまで素早く改善したのは、日本の優秀な医療従事者と穏やかな環境のお陰です。
Q.日本の医療従事者に対する印象を教えて下さい。
――私は看護兵だったので職業柄、最初は日本の医療従事者を懐疑的な目で見ていました。しかし、すぐに彼らが解剖学や病理学に精通しており、患者をどう治療すべきか理解していることがわかりました。リハビリ担当者だけでなく、日本で会ったすべての医療従事者が高度な専門的知識を持っていることに深い感銘を受けました。
Q.奥様と日本に滞在されていましたが、日本の生活は楽しまれましたか?
――はい。最も強く感じたのは、日本が非常に平和な社会であるということです。生活環境が、とても静かで調和がとれています。これは毎晩、空襲警報が鳴り、メンタルがおかしくなりそうなウクライナから来た我々にとっては非常にありがたいことでした。また、日本文化の奥深さが好きになりました。当たり前過ぎて日本人は誰も気にも留めないのかもしれませんが、道路の街路樹や植え込みなどがすべてきちんと手入れされていることは驚きでした。また、公共交通機関など日本社会のすべてが、信じられないほどのレベルできちんと管理・運営されていることも素晴らしいとしか言いようがありません。
Q.日本ではリクリエーションや観光も楽しまれましたか?
――いろいろな場所へ観光に行きました。東京では、数千人の歩行者が行き交う巨大な交差点や高層ビル群を見物しました。しかし、大都市より深い感銘を受けたのは京都や鎌倉のような歴史のある場所でした。神社仏閣や城郭、博物館などがとても素晴らしかったです。日本海海戦(1905年)で、ロシアのバルチック艦隊を破った連合艦隊の旗艦であった「三笠」記念艦(神奈川県横須賀市)も素晴らしかったです。日本の歴史に文字通り手で触れた気がしました。
Q.海釣りにも行かれたそうですね。どうでしたか?
――横浜ヘルスケアシステムの横川秀男理事長と会食した時、たまたま「釣りが好き」と口にしました。すると理事長はご親切にも、私のために海釣りを計画して下さったのです。釣り自体もとても楽しかったですが、一緒に行った日本人の方が釣った魚で寿司を握ったり、刺身を作ったりして下さったのが一番印象に残っています。
Q.イーゴルさんのアパートで調理したのですか?
――そうです。作っている様子を動画で撮りましたよ。シンプルながら、見た目も味も素晴らしい料理でした。
Q.ウクライナに帰国後は何をなさるつもりですか?
――帰国後は、サイコ・ソシアル・アダプテーションという心理療法を使って負傷兵の社会復帰を助ける活動をするつもりです。また元衛生兵として、戦闘に巻き込まれて負傷した際、どのように応急措置をしたらよいかを民間人に教える活動も計画しています。
Q.最後に、日本人へのメッセージをお願いします。
――私とウクライナへの支援に心から感謝致します。帰国したら、母国の人々に「日本はウクライナの友人である」と伝えるつもりです。
Q.ありがとうございました。お気を付けて帰国されて下さい。
――ありがとうございました。